
去年の今日がいつもと違っていたことは、防災訓練のサイレンが爆音で鳴ったことと、そのあとCPの心臓が止まっていたこと。あの日から1年が過ぎ、CPのお骨を持って遠い山の上で供養をしてもらった今日は2016年9月4日。
霊園の待合室には飼い主を慰めるためのセラピー本やセミナーのチラシがある。この世を去った動物たちは天国の手前の虹の橋で飼い主を待っていて、いつか飼い主と再会して共にその橋を渡るのだと『虹の橋』という本には書かれていた。去年の今日も私はここでこの本を読んだはずなのにマザーファッキンな感情以外何もなかった。とにかく動物たちは虹の橋で仲間と遊んで楽しいときを過ごすらしいのだけど、暗かったCPのことだからきっと友達もいないだろうし、たったひとりの同居人だったのりやすのことも嫌いだったから無視しているところが想像できる。CPは毎日ひとりで何をしてるんだろう。うちにいたとき主に壁を見つめていたCPは、今ごろどこを見つめて時間を潰しているのだろう。明るかったのりやすにはきっと友達がたくさんできて天国をもエンジョイしているだろうと思う。
夏からベランダで3匹の蜂が巣を作っている。殺虫剤を使わず、ホースによる最大の水圧で破壊した。厚手の上着とパンツ、サングラスとほっかむりとマスクという完全防備スタイルは暑さでマザーファッキンで、養蜂場の人たちが日々苦労していることだけはわかった。しかし翌朝になると蜂たちは性懲りも無く同じ場所に巣を作り始めていた。助っ人を呼んだらしくメンバーも増加。できたら子供たちが生まれる前に巣作りを諦めてもらおうと2度目の破壊。それなのに翌朝には3度目の巣作りに挑戦していたしぶとい奴ら。
奴らは朝からぶっ通しで働いて夜に寝る。私はカーテンの隙間からそれを見て感心しながら二度寝する。起きていよいよ洗濯物を干しているあいだも巨大蜂たちは私の横をすり抜けて夢中で巣を作っている。ついでにうっかり私を刺し殺すこともできたのに、奴らに殺意はないらしい。巣を作るというミッションしか頭にないようで私のことなど眼中にない。3度目の破壊の日は近づいているというのに。飛び立っては花粉か何かをゲットして間違いなくこのベランダに戻ってくるあいつらの方向感覚は抜群。戻らなくても結構なのに必ずここへ戻ってきてくれる。
ある日洗濯を干していた私は巨大蜂に刺され、気づいたら虹の橋に立っている。CPはポーカーフェイスだけど私を見て驚き、これでもかというほど目が丸くなる。それから私にだけわかるちょっとだけ嬉しそうな顔を見せてすぐに壁を向く。しっぽが数回パタンパタンと地面を叩き、お姉がお尻を叩きにくるのを待っている。叩いたら怒るくせに。遠くでのりやすは友達をしばいて遊んでるけど“食品きたよ”とお姉が叫べば何をさし置いてもあいつは走ってきてくれる。お姉のことは忘れていてもたぶん友達をおいて走ってきてくれる。茹でたブロッコリーを食べれば昔私たちが一緒に暮らしていたことを思い出すかもしれないし、思い出さなければ初めましてでもいい。私たちはみんないつでも最初からやっていけると思う。もしも宇宙の入り口にそんなファンタジックな橋があるのなら蜂に刺し殺されても悪くない。そんな希望の欠片を頼りに今日も働く蜂の中で私は洗濯物を干している。